タイトルが下品で申し訳ございません。
最近、うんちに救われたので、思いのたけをつづりたいと思います。
気持ちに余裕がある時は、何がおきてもやさしくいられるけど、
余裕がないときは、箸が落ちただけでイライラします。
誰かに嫌な事を言われたり、されたりしたら
悪気が無いかぎり 受け入れて許してあげようとは思っていても、これが中々難しいものですね。
「自分されて嫌なことは、人にしない。」
幼稚園の時に、散々教え込まれたこの言葉も、年とともに、先入観やら、被害妄想やらで、
どんどん出来なくなっていきますが、それはそれて、それもそれで、出来ない自分も受け入れて
誰も彼も、受け入れて穏やかでいられたらいいな。と思っています。
難しくても、難しいからやらない!のではなく、分からなくても、死ぬまでに
「幸せだったのだ」と気づければ良いな。と思います。長い時間がかかっても。
うんち がモリモリ出るだけで幸せではないか。
と最近長い便秘から開放されて、とてもスッキリ、言葉には出来ない幸福感に包まれました。
子供の頃は「うんち」という言葉だけで、笑顔になりましたが、
大人でも このうんちから笑顔になりました。
腸が快適だと、心も穏やかになるものですね。
体にガタが来て、初めて「ああ、、満たされていたんだな」と感じました。
年齢を重ねると、食べれるものも減ったり、出来ない事が多くなったりするけれど、後ろを振りかえると
自分が幸せだったんだと気がつきました。
その時は気がつかなくても、でも、出来れば今気づけるようになりたいと思います。
欠点だらけのように思えて、意外と満たされているのかもしれません。
全部ひっくるめて、許して、受け入れて、穏やかでいられる。
穏やかこそが愛だと思っていますが、この考えも数年後には違う答えが見つかるかもしれません。
未熟がゆえに、怒りっぽく、感情的で、我が強く回りを困らせてしまい、穏やかとは無縁な私ですが、
自分の欠点も反省も許してほしいならば、
自分も相手を許そうと。自分がしてほしい事は進んで自分もしよう。と。
そうしたら、もっと生きやすいのではないかな。と綺麗事ではありますが、心からそう痛く感じました。
自分に余裕がないように、相手も余裕がない時は、嫌味の1つや2つ言いますもん。
でも、許してあげられたらいいのに。自分もそうしてほしいように。
そして、ゆるしてくれた人には感謝して。
すべての人に感謝を込めて。大好きな動物に感謝を込めて。大好きな食べ物に感謝をこめて。
出来ない自分も受け入れて、中身が大人になれるよう、がんばりたいと思います。
毎年がんばる!って言って出来てないけど、、、笑
今年が良い日で終わりますように。来年も良い年でありますように。
全国が快便でありますように、、、。笑
きなこ